カテゴリ:日本のおはなし
∞∞∞ 自由研究のテーマに、武田信玄はいかが? ∞∞∞
夏休みと言えば自由研究 何にしようか悩んでいる方も多いのでは? そこでおすすめなのが、【武田信玄】ネタです。 関東にお住まいの方は、信玄ゆかりの山梨県まで出向いて、ついでに、武田信玄の隠し湯とも呼ばれ、武将が戦(いくさ)の疲れを癒したり、名だたる文豪からも愛された杖温泉(信玄湯)に浸かってくるのもいいかもしれませんね 武田信玄といえば、初めてトイレを造った人と言われているのを知っていますか? 実はかのTOTOが、期間限定ではありましたが、TOTO立川ショールーム【トイレ博物館】なるものをオープンし、そのなかに信玄が戦略を練る際に使用していたと言い伝えられる”御閑所”をミニチュアで再現していたそうです かつては肥溜めが一般的で、畑に撒いたものをお風呂の残り湯で洗い流していた模様。 ところが信玄は、今で言うトイレ; ”御閑所”を造り、その中で戦略を練ったり、考え事をしていたと言います。 広さは6畳ほどで、外から槍をつかれても届かない位置に座っていたと考えられているのだとか。 現代では学校のトイレを使いたがらない児童も多く、ほとんどの子供に便秘症状が見られると言われますが、信玄の風変わり?な習慣を、夏休みの研究テーマにすると、ほかとは違った作品になりそうですね ところで信玄といえば、信玄神社や甲斐国の戦国武将として赤い衣装を身に付けていたこと等が有名です。彼が握っていた鉄の軍配は、重さ3キロ。それを片手で振れるほどの豪傑でもありました。 また、おそらくこの家紋は誰でも見たことがあるはず。 スマホケースのデザインにも使われて、大人気 そして何より、今でもリーダーとして、経営者の指針となっている信玄。その理由は何なのでしょうか。 信玄は金の鋳造を成功させ、商業に通じる貨幣をつくっただけでなく、信玄堤を造り、穀高が落ちないように策を講じました。 また京都を真似て、街並みを碁盤の目のように整備したり、その力は政治家として信長に恐れられるほどだったと語り継がれます
実は城を持たなかった信玄は、その代わりにこんな名言を残しています。 『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』・・・確かに頑強な城を持てば、いっときは自分たちを守ってくれるかもしれない。 でも、深く厚い情を持ってさえいれば、国は人に守られ、逆に仇を感じるような仕打ちをすれば、窮地に追いやられるだろうと説いたのです 実際、信玄は労力やお金は人のため、しいては国のためと考えた人で、人心掌握に長けていたため、あらゆる局面を乗り越え、部下をはじめ、周囲からの人望が尽きない人であったそう 後に、信玄の配下は家康に奪われることになりますが、それでも人々は信玄を祀り、祠を造り、信玄を信仰して祈りました。 信玄の名前自体も、出家してからの名で、30代で出家して50代で長野県の寺で亡くなったと言われるので、人生の大半を仏の道に投じたと言ってもいいでしょう。 波乱に満ちた人生ですが、人情を持ち合わせた武将の生き様に、興味が湧いてきませんか?
∞∞∞ おわり ∞∞∞
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最終更新日
2017.07.23 17:26:04
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